東京地方裁判所 昭和30年(ワ)4448号 判決 1956年11月05日
原告 永井源吉 外一名
被告 株式会社読売新聞社 外一名
主文
一、被告株式会社読売新聞社は、原告等のために、被告株式会社読売新聞社発行の読売新聞社会面に、他の記事本文と同号活字で、広告として左記文言を一回掲載せよ。
昭和二十九年八月十一日附本紙朝刊全国版第三面に、「わが子ひとの子」「愛児輪禍死の仕返し母子れき殺図る。こじれた慰藉料百万円」という見出しで掲載した記事は、その記事の取扱方に適当を欠くものがあり迷惑をおかけしましたことをいかんとします。
株式会社読売新聞社
永井源吉 殿
永井シヅヱ 殿
二、被告株式会社読売新聞社は原告等に対し金二十万円およびこれに対する昭和三十年七月二日以降、支払済まで年五分の割合の金員を支払え。
三、原告等のその余の請求を棄却する。
四、原告等と被告高崎晶との間に生じた訴訟費用は原告等の負担とし、原告等と株式会社読売新聞社との間に生じた訴訟費用は、これを五分し、その一を原告等の負担とし、その四を同被告の負担とする。
五、この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一申立
(一) 原告等の申立
被告株式会社読売新聞社は、その発行する読売新聞全国版第三面半分を使用して、「一新聞記者の筆禍一家を倒産に導く(以上初号活字)愛児輪禍死の仕返し母子れき殺図るこじれた慰藉料百万円の記事は本社高崎記者の筆の誤り(以上一号活字)弁護士正木ひろし氏談仕返しにでた親は殺人未遂罪に当る云々は誤報に基く誤判断(以上三号活字)」なる見出しのもとに、昭和二十九年八月十一日読売新聞に掲載した原告等に関する記事が誤なる旨の訂正記事を掲げよ。
被告等は連帯して原告等に対し、金七十万円及びこれに対する本訴状送達の翌日より完済に至るまで年五分の割合の金員を支払え。
訴訟費用は被告等の負担とする。
との判決及び第二項について仮執行の宣言を求める。
(二) 被告等の申立
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
との判決を求める。
第二原告等の主張
(一) 原告永井源吉同永井シヅヱ夫婦は子女と共に肩書地に居住し、食料品小売販売業を営むものであるが、昭和二十九年四月四日午前十一時頃、原告永井シヅヱが五男孝を連れて外出し、世田谷区喜多見町四三七〇番地先六郷街道にさしかゝつた際、孝は、大田区馬込町東四の五二六砂利商堀口剛の被用者熊田史郎の運転するトラツクにひかれて死亡した。(以下本件交通事故という)。
(二) その後、右交通事故の加害者側と原告等との関係は、次のような経過をたどつた。
(1) 本件交通事故が加害者側の過失に基因するものであるに拘らず、加害者側は誠意ある態度で陳謝の意を表さず、昭和二十九年五月八日、堀口剛は熊田史郎と共に原告方を訪れ、慰藉料について、「金五万円位にして貰ひたい」と申し出たので、原告永井シヅヱは、「別に物質的にどうと言う訳ではないから、もし事故の後もつとも早くおいで下さつたら、親としてそれで満足なので、何も頂かなくてもよいと思つて居りましたが、既に三十五日も過ぎて今迄何の挨拶もなかつたのですから今日としては世間並のことはして載きたいと思ひます。」と答えたところ、堀口剛は後日を約して辞去しながら、これに反し原告等の数度の催告にも応じなかつたが、原告等の誠意ある交渉の結果、同年六月十二日、堀口剛が原告等に慰藉料として金五十万円を支払う旨の合意が成立した。しかるに、堀口剛は一向に右約旨を履行しようとしないので、更に話合の結果、同月二十日、右金額を二十万円に減額するに至つたが、尚も履行せず誠意が見受けられなかつたので、原告等は、昭和二十九年六月二十八日、東京地方検察庁に対し、堀口剛及び熊田史郎を業務上過失致死の罪名で告訴するの止むなきに至つた。
(2) ところが亡児孝の百ケ日に当る昭和二十九年七月十三日、原告等方における供養の催しを終つて親せき近隣の人々が帰つた後に、熊田史郎及び堀口剛の妻キクヱがその三男悦雄を背に負つて原告等方を訪れたが、その際、両名はニヤニヤ笑つて何の挨拶もせず、「私達はお線香あげりやいゝんですよ」とうそぶいて仏だんに形ばかりの焼香を終るや、堀口キクヱは、「さあ帰りませう、お線香さえあげりやいゝんですからね」と捨せりふを残し、原告等と座敷で話してゐた熊田史郎に対し、「熊田さんもう帰りませう、もう用事は済んだんですからね、」と大声で呼びかけたので、原告永井源吉は同女のあまりの態度にふんがいし、同女の反省を促すために引き留め、「貴女も子供のある身だからよく判るでせう、親が子を失つた悲しみはどんなものであるか判りませんか、」「親から子供を引き離されたらどんな気持になるか一度その子を置いて行つてみなさい、」と言つたところ、同女は反省の色を示さないばかりか、「警察には知つている人があるから警察へ行かう」等と挑戦的態度に出たので、原告永井源吉は、冗談に、通りかゝつたトラツクに手を上げて「オーイこいつ図々しい奴だからひいてやつてくれ」と二度程声をかけておどしたが、同女は少しも謝罪の意を示さず、かえつて、堀口剛は、昭和二十九年八月九日、原告永井源吉を成城警察署に告訴するに至つた。
(三) 被告株式会社読売新聞社(以下被告新聞社という。)は、本件交通事故から約四ケ月後に至つてその発行する読売新聞の昭和二十九年八月十一日附朝刊全国版第三面の約半分を使用して、「わが子ひとの子(以下初号活字)愛児輪禍死の仕返し(以上一号活字)母子れき殺図る(以上初号活字)こじれた慰藉料百万円(以上一号活字)法律も信じられぬ世相が生んだ悲劇(以上二号活字)弁護士正木ひろし氏談(以上九号活字)一定期間を置けば冷静に(以上三号活字)社会評論家松岡洋子さんの話(以上九号活字)」等の見出しを附し、且、原告永井源吉と娘永井芳子が亡児永井孝の供養のためにれき死現場附近に建てた地蔵尊の前で礼拝している写真及び亡児孝の写真並びに堀口キクヱと子悦雄の写真を掲げた末尾添付の写真版<省略>通りの記事を掲載はん布した。
(右の記事を以下本件記事という。)
(四) 本件記事は、事実をいつわつて作りもしくはまげ、且つ、筆を極めて原告等を悪し様に取り扱つたものである。
すなわち、「わが子ひとの子」との見出しの下の記事及び「愛児輪禍死の仕返し、母子れき殺図る、こじれた慰藉料百万円」との見出しの下の記事は、いずれも、原告等が加害者側に対して交通事故の慰藉料として金百万円を請求している旨全くいつわりの事実を掲げ、且つ、前記七月十三日の出来事をまげて原告永井源吉があたかも殺人を図つたものの如く誇張して掲げ、また、原告等と加害者側との話合の経過もあたかも原告等に誠意が無かつたかのように反対のことを掲げ、「法律も信じられぬ世相が生んだ悲劇」との見出しの下の記事では、七月十三日の原告永井源吉の行為を、人間として許されない行為として或は殺人未遂罪にあたる行為として掲げ、結局、本件記事は、原告等を、どん慾無比の狂人であり鬼蓄の如き殺人犯人であるかのように取り扱つたものである。
(五) 原告等は、本件記事によつて名誉感情を害され著しい精神的苦痛を蒙つたばかりでなく、ぼう大な発行部数を有する被告新聞の本件記事は広範且つ強大な影響力をもつて、原告等に対する非難と憎悪の感情を世人に抱かせて原告等の社会的声価を失ついさせたために、原告等を非難しば倒し更にきようはくするような内容の投書が原告に殺倒し、近隣の人々は「そんな鬼のような人の子は嫁にも貰うな嫁にもやるな」とののしるので原告等の子女の縁談にも支障を来し前途を悲観して家出を図るような始末となり、原告等の娘むこは、悪化した風評のために就職中の東宝株式会社を退職させられて失業し、原告等が亡児孝のれいを慰めるために路傍に建立した地蔵尊は何者かによつて度々押し倒される有様で、重なる打撃のために原告等は精神に異状を来す程であつた。
そのうえ、原告等の営業上の顧客は原告等を憎悪した結果不買同盟を結び「鬼のような永井をつぶせ」と言つてすぐ近所で原価販売をして原告等に圧迫を加える同業者も出てくる有様で、原告等の営業成績はたちまち地におち、時あたかも酷暑の候であつた為、仕入品は売れないばかりでなく腐敗して全くの欠損となり昭和二十九年八月十一日本件記事が掲載はん布されて後は、毎月約五万円の純益を失うと共に、毎月約五万円の欠損を生じ、差引毎月約十万円の損害を蒙り、同年末までに営業上蒙つた財産的損害は約五十万円に上つて、畑を売り家を抵当に入れて辛うじて倒産を免れ一家が露命をつなぐ状態になつた。
(六) 被告新聞社が本件記事を掲載はん布したのは、被告新聞社の取材記者被告高崎晶の悪意又は故意若くは過失による取材行為と、被告新聞社の所謂デスク(へんしうに当る被用者)の過失によるへんしう行為との競合に基因するもので、右掲載はん布による原告等の蒙つた前記各損害は被告高崎及び右デスクの共同不法行為によるものである。
(1) 被告高崎晶が右取材に当つて悪意すなわち原告等を害する意図を持つていたこと、又は故意すなわち原告等の名誉感情を害し社会声価を失ついするおそれあることの認識をもつていたことは次の事情から明白である。すなわち本件交通事故が発生したのは昭和二十九年四月四日であり同月二十四日には産業経済新聞が公平な立場で報道していたのみで被告新聞社は本件交通事故について何等報道していなかつたのに、それから約四ケ月余りを経過した同年八月九日あたかも堀口剛が原告永井源吉を告訴したその日に、被告高崎晶が取材のため原告方を訪れたので、原告永井シヅヱは前記(二)の事情を詳細に説明して、物質問題から起きたことではないのだからどうか実際を書いて下さいと頼んでおいた。にも拘らず、本件記事が掲載はん布されたので、原告永井シヅヱは余りのことに驚いて同日直ちに被告新聞社に馳けつけて本件記事の訂正を申し込んだが、被告新聞社の人々は一向に相手にせず、被告高崎晶の如きは、「本件記事は何百万円にも値する記事だから原告永井一家をぎせいにしても個人の利害等考えず新聞というものは訂正しないものだ、新聞に悪く書かれたら大会社でも内閣でもつぶれるのだ読売新聞ぐらいの大新聞になれば、お前等一家をつぶすぐらいは平気だ」と放言する始末であつて、被告高崎晶が取材に当つて、特種をものにして自己の功名心を遂げようとする野望のために、あえて原告等をぎせいにする意思を持つてゐたことが明かである。また、本件記事が掲載はん布されてから後に、昭和二十九年九月四日及び同月十日の両日に亘つて、世田谷区祖師ケ谷一ノ一二九三新聞販売店石崎幸策方において、本件交通事故の加害者側と被害者側との示談の為に数名の人々が参集して協議したが、被告高崎晶は新聞記者として保持すべき公平な第三者的立場を捨てて終始加害者側に加担し、右協議の席上、本件記事が事実に反し原告等の名誉を傷つけるものであることを確認しその非をわびておきながら、訂正記事によつて原告等の立場をばん回するからと称して、既に六月二十日に金二十万円と決まつていた慰藉料額を金十万円に減額するように要求し、そのうえ、原告等がこの旨承諾したに拘らず、被告高崎晶は訂正記事掲載の右約束を履行せず、却つて、九月十一日には「和解が成立、わが子ひとの子事件」との見出しの下に、従前の本件記事を肯定して読者に再びこれを思ひ出させ印象づけるような記事を掲載したので、むしろ原告等に対する世間の悪ばや非難を増大させる結果を招いた程で原告一家がかい滅に頻したのを見た被告高崎晶は、「新聞記者の恐ろしさはこんなものだ、自分の腕で内閣も潰せる、今に永井一家が自滅するから見ていろ、永井一家が全員自殺すれば又記事になる、そのときには又特種としてよい材料ができる。」と放言する始末で、被告高崎晶の悪意又は故意を推認するに充分な情況であつた。
(2) 仮に、被告高崎晶に悪意又は故意がなかつたとしても、過失があつた。すなわち、被告高崎晶が、取材のため原告等を訪れた際、原告永井シヅヱは、事実の経過を詳細に説明したのであるから、加害者側の一方的意見のみにとらはれず、真実把握の熱意を以て調査したならば、立会証人も多くいることでもあり、客観的事実を把握し得て、本件記事が、原告等の名誉をき損するおそれあることの認識に到り得た筈であるのに拘らず、この挙に出なかつた点に過失があつたものというべきである。
(3) 他方、被告新聞社のデスクは、被告高崎晶の取材内容に検討を加え、原告等の名誉に思を至すならば、容易に本件記事が真実に合致しないこと従つてまた原告等の名誉をき損するおそれのあることに認識を持ちえた筈であるに拘らず、このしん重さを缺いた過失があつたものというべきである。
(七) 本件記事の掲載並びにはん布は、被告新聞社の被用者が業務の執行について為した共同不法行為に基くものであるから、被告新聞社は使用者として因つて生じた損害を賠償する義務がある。よつて原告等は、被告新聞社に対し、原告等の申立第一項記載のとおり、原告等の名誉及び信用を回復するため必要な謝罪広告の掲載を求め、被告両名に対しては、原告等の蒙つた精神的苦痛の慰藉料として金二十万円及び、原告等の営業上の財産的損害の賠償として金五十万円、以上合計七十万円と之に対する本訴状送達の日の翌日である、被告新聞社については昭和三十年七月二日以降、被告高崎晶については同年同月二十四日以降、支払済まで民法所定年五分の割合の遅延損害金の連帯支払を求める。
(八) 被告等の抗弁事実は否認する。
第三、被告等の主張
(一) 原告等の主張事実中、原告等夫婦が子女と共に肩書地に居住して食料品小売販売業を営むものであること、原告等主張の本件交通事故があつたこと(ただし過失の有無に関する部分を除く)原告等主張の日時に堀口剛が原告等に慰藉料として金五十万円を支払う旨の合意が成立したこと、其の後、原告等から堀口剛及び熊田史郎を相手として原告等主張のような告訴が為されたこと、原告等主張の七月十三日に堀口キクヱが三男悦雄を背負い熊田史郎を伴つて原告等方を訪れたこと、堀口剛が原告等主張の八月九日原告永井源吉を告訴したこと、被告新聞社が八月十一日原告等主張の通りの本件記事を掲載はん布したこと、原告等方に種々の投書があつたこと、原告等が本件交通事故の現場附近の路傍に地蔵尊を建てたこと本件記事が被告新聞社の被用者である記者の被告高崎晶の取材に基いて被告新聞社の所謂デスクによつて整理へんしゆうされたものであること、原告等主張の日時に被告高崎晶が取材のため原告等方を訪れ原告永井シヅヱから事情を聴取したこと、本件記事が掲載はん布された日に、原告永井シヅヱが被告新聞社に来て本件記事の訂正を申し出たこと、原告等主張の九月四日及び十日の両日石崎幸策方において協議があり被告高崎晶がこの席に参加したこと、九月十日の協議の席上で、原告等と堀口剛との間で慰藉料額を金十万円とすることに合意が成立したこと、翌九月十一日被告新聞社は和解成立の旨の記事を掲載はん布したことはいずれも認めるが、その余の事実は全部争う。
(二) 被告高崎晶及び被告新聞社のデスクは、新聞紙の公共的社会的使命に基いて、一般社会人に警告を与える趣旨で、原告夫妻、堀口夫婦及び警察当局その他の関係者について事情を調査したうえ、その結果をその侭本件記事としたものであるから、本件記事の作成掲載及びはん布の行為は、報道機関としての責を免れるべき行為に属するもので、不法行為とはならない。すなわち、
(1) 本件記事中百万円の点については、被告高崎晶が取材に際し、堀口夫妻から原告等が当初金百万円を要求した旨を聞知したばかりでなく、原告永井シヅヱからも慰藉料として金百万円請求した旨を聴取したので、その通りを記事にしたまでであり、その後この慰藉料請求金額が次第に減額されたことに具体的に触れず記事中に述べなかつた丈で金百万円を要求した事実が虚偽となるものでない。
(2) また、七月十三日の出来事についても、原告等は被告新聞社の読者相談部及び被告高崎晶に対して、事実が本件記事の通りであることを認めていたのであり、仮に、原告等主張のように、原告永井源吉がトラツクに呼びかけた行為がじようだんであつたにしても、堀口キクヱとしては、感情のこじれた情況のもとでは恐ろしい仕返しと感じ、本件記事の通り話すのは当然であり、これをその侭本件記事にしたに過ぎないのである。
(3) 弁護士正木ひろし談及び社会評論家松岡洋子の話は、被告新聞社の担当記者が取材したことをそのまゝ、本件記事の一部としたにすぎない。
(4) 仮に本件記事のうち一部枝葉の部分について事実に相違する点があつたとしても、荒筋において間違はないのであるから全体としての真実を害しないばかりでなく、被告高崎晶及び被告新聞社のデスクは、本件記事を真実と信じる相違な理由に基いて、作成へんしうしたのであるから、不法行為の責を負ういわれはない。
(四) 仮に、被告高崎晶及び被告新聞社のデスクが不法行為の責を負うべきものであつても、被告新聞社はその選任監督に相当の注意をしたから使用者責任を負はない。
第四、証拠<省略>
理由
(一) 昭和二十九年四月四日午前十一時頃、世田谷区喜多見町四三七〇番地先六郷街道において、原告等夫妻の五男孝が、堀口剛の被用者熊田史郎の運転するトラツクにひかれて死亡したこと、被告新聞社はその編集発行する読売新聞の同年八月十一日附朝刊全国版第三面に末尾添付の通りの本件記事を掲載はん布したことは、いづれも当事者間に争がない。
(二) 原告等は本件記事の掲載はん布によつて名誉をき損され信用を失ついしたと主張するので、本件記事における報道及び評論のそれぞれの内容及び本件記事の扱方を検討して、本件記事の性質乃至対社会的反応、すなわち一般読者に通常如何なる印象を与えるものであるかを審按したうえ、本件記事の掲載はん布行為が原告等の名誉感情を害し社会的声価を減ずる性質のものであるかどうかを考える。
本件記事中「わが子ひとの子」との見出しの下の記事のうち、「子供がトラツクに……」以下「……告訴するに至つた。」までの部分は、報道部分の要約であり、「愛児輪禍死の仕返し、母子れき殺図る、こじれた慰謝料百万円」との見出しの下の記事のうち「事件の発端は……」以下「……告訴したものである。」までの部分は、報道部分の詳細であつて、続いて永井シヅヱ、堀口キクヱ、柴崎成城署長の夫々の簡単な談話を掲げたものであり、「わが子ひとの子」との見出しの下の記事中「これはつきつめた親子の……」以下「……恐ろしい出来事である。」までの部分は、評論部分であり、尚、本件記事の末尾には、「法律も信じられぬ世相が生んだ悲劇」との見出しの下に弁護士正木ひろしの談として、「一定期間を置けば冷静に」との見出しの下に社会評論家松岡洋子の話として、それぞれ、法律的乃至倫理的な見地からの評論を掲げたものである。
ところで、右報道内容の要旨は、交通事故で愛児を失つた原告等がトラツク運転手の使用者堀口剛に百万円の慰謝料を要求して交渉が紛糾した末、亡児の百ケ日にトラツク運転手と共に原告等方を訪れた堀口キクエ(堀口剛の妻)及びその背に負つた子供に対し、原告永井源吉が娘芳子と共に暴行を加え、更に原告永井源吉が、通りかゝつたトラツクに「ひかれて死んで了え」と堀口妻子を押し出したというにあつて、その摘示方法は、右の暴行を「うつ、ける、なぐる、しかもそのあげくの果てに母子の手をとつて道路にひきずり出し二度までもばく進してくるトラツクの前に"
本件記事は以上摘出の表現を用いた報道部分及び右摘出の表現のある評論と原告主張の活字を使用した前記各見出し、原告主張の写真及び第三面の冒頭に掲げられたことと相まつて、これを読む一般の読者に対して一方において、倫理的自戒の念を抱かせると共に更に一般的な社会問題に対する関心を呼び起して、新聞の社会の木たくと呼ばれるにふさわしい機能を果しうるであろうが、他方において、原告永井源吉のみならずその妻の永井シヅヱ両名ともに相はかつて交通事故で子供を亡くしたことを奇貨として慰藉料の名のもとに金銭をむさぼろうと企て、意の如くならないまゝに殺人未遂罪に該当する復しうをした者であるとの印象を与えるであろうことは推察に難くないばかりでなく、原告永井シヅヱ本人訊問の結果によりいづれも原告等に寄せられた投書であると認められる甲第九号証から第十三号証の各一、二の内容文言をそれぞれ本件記事と比較照合するならば、世人が本件記事によつて原告等に対し右のような印象を現実に抱くに至つた結果、原告等に対し非難に満ちた投書が殺到したものであることを認めるに充分であるから、本件記事の掲載はん布行為によつては明かに原告等は名誉感情を害されると共に、その社会的声価を減ぜられたと言うことができる。
(三) 本件記事の作成掲載およびはん布が、被告新聞社の被用者である記者の被告高崎晶の取材に基いて、被告新聞社の被用者であるいわゆるデスク(記事の編集整理担当者、以下同じ。)其の他各部署に従事する多数人の協力によつて為されたことは、当事者間に争がない。
そこで原告主張の共同不法行為と目される本件記事の作成掲載およびはん布の行為において、被告高崎晶の担当した取材行為が法律上如何なる因果関係を持つものであるかを審按する。まず、原告等は、被告高崎晶が当初から原告等に対し前記結果を与えるために悪意で取材に当つたと主張するが、証人村岡隆昭の証言、原告永井シヅヱ(第一回)及び被告高崎晶各本人訊問の結果を綜合すると、昭和二十九年八月九日、当時、成城警察署の捜査主任をしていた村岡隆昭が原告永井源吉を被告訴人とする堀口剛の告訴を取調べたが、被告新聞社の警察担当記者であつた被告高崎晶が、同署で告訴事実の概略を知つて村岡捜査主任に面接し、同人から告訴事実の日時場所や当事者の住所等を聞知したうえ、同日午後二時頃原告等方を訪れ、原告永井シヅヱから約二時間に亘つて事情を聴取し、その際同女から警察が不完全な捜査をしている旨聞き及んだので、翌十日堀口剛方を訪れて事情を聞き、再び原告等方をカメラマンと共に訪れて本件記事中の写真をとり、以上で取材を終つたものと認めることができる。ところで右取材の日が丁度堀口剛の告訴した日であつて、取材のいとぐちが堀口剛の原告永井源吉に対する告訴にあることは認められるが、其の後の取材過程が右の通りであることに照して考えると、被告高崎晶が殊更に原告等に筆ちうを加えようとの意図を抱いていたものと推断することはできない。また、原告永井シヅヱ第一回本人訊問の結果によると、八月九日、被告高崎晶が原告永井シヅヱから事情を聴取した際、同女が「物質問題から起きたことではないのだからどうか実際を書いて下さい。」との旨を語つたことは認められないでもないが、被告高崎晶本人訊問の結果によると、同人が堀口剛の言ひ分も聞いたうえ、原告永井シヅヱの思ひ違ひもあるものと判断して両者の言分を取捨したものであることが認められ、被告高崎晶が原告永井シヅヱから依頼された事柄をその通り記述してデスクに取材送稿しなかつたからといつてこの事から直ちに、被告高崎晶が原告等を害する意図を持つていたものと認めることはできない。尤も、原告永井シヅヱ本人訊問の結果によれば、本件記事が掲載はん布されて後、八月十八日頃、同女が成城警察署の相談部で被告高崎晶と会つた際、同人は、「とにかく新聞社というものは個人の利益関係というようなことは考えられない、そういうことを考えては記事は書けない、新聞というものは一回出して了えば撤回しないものだ、新聞に書かれゝば内閣もつぶれる。」との趣旨の意見を述べたことが認められ、これ等の言辞は新聞倫理の観点から頗る妥当を欠くものであること説明するまでもないところであるが、これは弁論の全趣旨によれば被告高崎晶が自己の取材にかゝる記事について後日に至り訂正謝罪記事の掲載を要求される立場に立ち至つて不用意に発したものと認められるので、右の言辞から直ちに、被告高崎晶が取材の当時既に悪意を持つていたものと認めることはできない。また、昭和二十九年九月四日及び同月十日の両日に亘つて、世田谷区祖師ケ谷一ノ一二九三新聞販売店石崎幸策方において交通事故の示談の為に協議が行はれたこと、及びこの協議に被告高崎晶も立ち会つたことは、いづれも当事者間に争のないところであるが、原告等主張のように、右協議に際し、被告高崎晶が堀口剛の側にのみ加担し、あるいは、訂正記事の掲載を約束して之と引換に慰藉料請求金額を減額するように原告等に要求したと認めるのに足る証拠はなく、仮にそのようなことがあつたとしても、被告高崎晶が取材に際し原告等に悪意を持つていたものと認める資料とは為し難い。
以上の認定の諸事情を綜合しても、被告高崎晶が取材に際しことさらに原告等を害する意図を抱いていたと認めるに足らず、他にこれを認定するに足る証拠はない。
右認定のように取材記者に悪意の認められない以上、その客観的な取材送稿が、所謂デスクの主観的解釈乃至評価によつて量的に取捨選択され質的に強調減殺されることによつて、取材記者の予想から隔絶した記事となつて掲載はん布されることがあるとすれば、右取材記者の文責が新聞記事のもたらした結果にまで及ぶものとは為し難いところであるが、本件の場合、被告高崎晶本人訊問の結果によつて見るのに、同人は前認定の取材過程において、交通事故で子を亡つた被害者側の悲しみと慰藉料を支払えないために乱暴された加害者側の苦しみとが世人に訴えるに価する社会問題であると思料して本件記事をデスクに取材送稿したものであること、本件記事中の見出しおよび前書き(「子供がトラツクにひかれて」から「恐ろしい出来事である」まで)正木ひろしおよび松岡洋子の談話の部分ならびに写真は、いづれも被告高崎晶の取材および原稿にかゝるものではなく、これ等はデスクの編集によつて加えられたものであること、それ以外の部分は概ね同被告の取材送稿したものにかゝり、なお、本件記事は全体として同人の取材からさほど遊離したものではないけれども、同被告としては本件記事を見て、自己の取材の意図と内容に比してやゝ予想外の感を受け、同時に、その取材を本件記事のように取り上げ編集したデスクの感覚に経験の浅い同被告としては(正式に新聞記者となつてから当時五ケ月目であつた)感銘を得た程の事実が認められ、他にこれを覆すに足る証拠がないので、被告高崎晶の取材送稿したものにかゝる右部分の記事を見ると、原告永井源吉の暴行に関する部分は伝聞である旨を明記してあり、その他の部分についても関係当事者の談話が摘記してあるので、同記事部分のみでは読者をして記者が伝聞した事実及び関係当事者の談話が必ずしも真実であるとの印象を与えるものとは思はれず、若しも適当な見出しと前書きが附されたならば全体として原告等に対し前記のような名誉き損の結果を与える記事とはならないものと思はれる程度のものであつて、右の結果をもたらしたのは、むしろ被告高崎晶の取材送稿にかゝわらない前認定のデスクの編集にかゝる見出し、前書き、正木ひろしおよび松岡洋子の談話が加わつたことによるものと認められる。もつとも、デスクをして右編集をなさしめたのは直接の取材者である被告高崎晶にその因を発し、同被告にも前認定の取材意図があつたので、その取材には右結果を招来するような原因があつたことが想像されないではないが、前認定の同被告の経験の程度本件記事を見た際の印象等に照して考えれば、同被告の取材を基としてこれにデスクの独自の方針が加つて右編集がなされたものと判断され、前説明の新聞記事作成上の機構と併せ考え、本件の場合被告高崎晶の前記取材と本件記事のもたらした前記結果との間には法律上の因果関係があるものとはいゝ得ない。従つて、被告高崎晶に対する原告等の本訴請求はその余の点の判断をするまでもなく失当というの外ない。
(四) そこで、被告新聞社のデスクに過失があつたかどうかを考えるに、本件記事の編集掲載の仕事に携つた右デスクが本件記事が原告等に対し前述のように名誉をき損し、社会的声価を減ずる結果を与えるべきことを予め認識し得たであろうことは新聞業務に従事する者の通常有すべき意識感覚から容易に推知しうるところである。従つてデスクにおいて右認識がなかつたとしても少くとも前記結果の招来について過失の責があるものといわねばならない。
(五) 被告等は、被告高崎晶及び被告新聞社のデスクが、いづれも新聞業務に従事する者としてその社会的公共的使命に基き、一般社会に警告を与える趣旨で、事実の調査を尽したうえ本件記事の作成掲載をしたのであるから、仮に本件記事が原告等の名誉をき損したとしても、正当な業務行為として違法性はなく、従つて不法行為とはならないと主張するので、この点について審案する。
言論出版の自由が民主社会発展の基本条件として尊重されるべきであり、しかも、今日の社会に於ていわゆる新聞の自由が言論出版の自由の重要な部分を占めるものであることは言うまでもないところであるが、さればといつて、新聞の自由が絶対的無制限なものではなく、みだりにわいせつな言辞を用いることが許されないように名誉き損や侮辱の自由を有するものではない。
他方、人々の社会的評価としての名誉には、真実の価値にふさわしい名誉のみならず世人の過大評価によつて期せずして受けている名誉や、対社会的仮面に基いてつくられたいつわりの名誉といい得るものもあり、そのいづれのものも社会秩序のもとにおいては一応すべて保護されることを要する法益ではあるが、他面それ等はすべて同一の程度に保護を要求できる資格を有するものではなく、いつわりの名誉は、公正な言論の利益前に仮面をはいで真実のために譲歩すべきものと解するのが相当である。
而して、新聞の報道もしくは評論についてもこのことがいえるのであつて、新聞による自由且つ、公正な言論のためには、真実の報道によつて仮面をはがれるようないつわりの名誉は、たとえそのために損害を蒙つたとしても損害賠償の請求をなし得ないものと解され、新聞がこのように損害賠償の責に任じないのを相当とする場合の範囲は、必ずしも刑法第三十五条或は同法第二百三十条の二の範囲と同一ではないが、右法条の趣旨を参酌して決定するのが妥当と解するので、新聞の報道もしくは評論が名誉き損もしくは信用失墜をもたらしても正当な動機と目的に出で、従つて自由且つ、公正な言論である場合は、記事の内容が真実であること若くは真実であると信じるについて相当の理由があつたことを立証して損害賠償の責を免れるものと解するのが相当である。
右の観点に立つて本件を見ると、本件記事の題材となつた事柄は前記のように、昭和二十九年四月四日の交通事故と同年七月十三日の暴行とを中心とするものであるから、犯罪に関係すると共に社会問題として公共の利害に関する事項であり、被告新聞社のデスクは前記のように、弁護士正木ひろし社会評論家松岡洋子の各評論を掲載した点についてみても、社会問題として世人に反省と批判とを求めようとする公正な動機と目的とに基いて、本件記事をへんしう掲載したものということができるので、本件記事は被告新聞社の自由且つ公正な言論の範囲に属するものと認められ、他にこれを疑わしめる証拠はない。
それでは、本件記事中、原告等が虚偽もしくは誇大であると指摘する部分が、真実であるかどうかを検討するに、交通事故の被害者である原告等が加害者側に慰藉料として百万円を要求したかどうかの点は、証人岩間正男の証言と原告永井シヅヱ第一回本人訊問の結果によると、原告永井シヅヱは昭和二十九年五月頃原告方を訪れた加害者側に対し一応の提案として百万円の慰藉料を要求したことが認められるが、原告永井シヅヱ第一、二回本人訊問の結果ならびに之により真正に成立したと認められる甲第四号証及び第五号証を綜合すると、右要求額は接渉の結果次第に減額されて、昭和二十九年六月十二日には金五十万円となり、同月二十日には金二十万円に減額され、従つて本件記事の取材当時には既に堀口剛は慰藉料として金二十万円を支払うことを約していたことが認められ、これに反する証拠はなく、原告等が慰藉料要求額を次第に減額していつた経過及び金二十万円の約定の成立したことについて、本件記事が全く触れていないことは当事者間に争がないところであるが、新聞記事の性質上多少の要約は免れず重要でない細目に関する若干の事実の相違は全体としての真実を害しないとしても、本件記事中において慰藉料金額の占める位置は見出し中に「こじれた慰藉料百万円」と大型活字で表示されたことによつて一箇の重要な支柱をなすこととなり事柄の続きの一部のみを抽出した見出しと相まつて原告等があたかも終始百万円の要求額を固執したかのような印象を与えており、本件記事は、すでにこの点において読者に与える印象上真実を報道するものとはなし難い。次に、昭和二十九年七月十三日の出来事については、激昂した原告永井源吉が堀口キクヱを引き止め「貴女も子供のある身だからよく判るでせう。親が子供を亡つた悲しみはどんなものか判りませんか、親から子供を引き離されたらどんな気持になるか一度その子を置いて行つて見なさい、」等と言つて、通りかかつたトラツクに手を挙げ、「おーい、こいつら図々しい奴だからひいてやつてくれ、」と二度程声をかけたことは、原告等の自白するところであり、また、原告永井源吉本人訊問の結果によれば、同人がトラツクに声をかけた際、堀口キクヱを数回押したことを供述しているので、右自白する事実及び右供述を綜合すれば、本件記事中の原告永井源吉がキクヱにおそいかかつたこと、背中に背負つたキクヱの三男悦雄の手足を引張つたこと、キクヱをトラツクの前につき飛ばしたこと、それ等の行為に原告等の娘芳子が加担したこと等は幾分の誇張はあるが必ずしも真実と甚しく異なるものとは認め難いが、原告永井源吉の右行為によつてキクヱが全治四週間の打撲傷を受けたこと、同原告がキクヱをうつ、ける、なぐる等の行為をしたことの部分、「死の仕返し、母子れき殺図る」等の見出し及び正木ひろし氏談に殺人未遂に当ると考えられ云々」とある部分と綜合すると右一連の事実は、原告等夫妻はともに復しうを図り、原告永井源吉において殺人未遂の行為に出たものと断定しているというの外ないが、同原告の殺人未遂行為が真実であることを立証し得るのに足りる証拠はなく、却つて原告等各本人尋問の結果(原告永井シヅヱは第一回尋問)によれば、原告永井源吉がキクヱに対し右各行為に出でたのは一時の感情に激した上のことで殺意を以てなしたものでないことが認められる。
而して、被告新聞社のデスクが、本件記事の内容を成す事実を真実であると信じるについて相当な理由があつたかどうかについて考えるのに、本件記事がその性質上調査を尽して真実把握に慎重を期する余裕を許さない程緊急を要するものでもなく、また、原告等にしても進んで資料を提供こそすれ調査を拒み取材を困難ならしめたと認められる特段の事情もうかがはれないに拘らず、原告永井シヅヱ及び被告高崎晶各本人訊問の結果を綜合すると、前認定のような取材過程において、被告高崎晶は交通事故の加害者側並びに警察関係等一応有力な取材源に接近して事情を聴取しこれに主観的判断を加えて取材送稿し、被告新聞社のデスクはこれに別段の調査も加えず直ちに右取材内容を真実に副うものと確信するに至つたものと推測され、その他に、デスクの右確信に至る根拠を推認するに足りる証拠もなく、新聞編集の実際事務に当るデスクは新聞作成機構において重要な位置を占めるものであること及び新聞の惹起する巨大な影響力に鑑み、デスクに要請される真実報道のための注意義務に照して考えると、結局被告新聞社のデスクが、本件記事の内容事実を真実と信じたとしても、そのことに一般を首肯させるに足りる相当な理由があつたものと認めることはできない。
以上のように、被告等において、本件記事の内容事実が真実であることも、真実であると信じるについて相当な理由があつたことも立証し得るに至らない以上、本件記事の作成掲載はん布が正当な業務行為であるとの抗弁は容れる余地がない。
(六) しからば、本件記事の作成掲載はん布は、被告新聞社のデスクの不法行為に基くものであり、被告新聞社がその被用者のデスクの選任監督について相当の注意を為したと認めるに足る証拠はないから被告新聞社は民法第七百十五条の規定に従つて右不法行為に基因する本件記事の掲載はん布によつて原告が蒙つた損害を賠償すべき責を負うべきである。
(七) そこで、原告等の蒙つた損害について考えると、前記のように原告等がその社会的声価を減ぜられ信用を失つたことによつて営業に関する財産的損害を蒙つたことについては、原告等の主張に沿う趣旨の証人山根ツ子、同岩間正男の各証言、原告等各本人尋問の結果(原告永井シヅヱは第一回尋問)があるが、未だ右証拠のみではその財産的損害の数額を確知し得ないし他にこれを認め得られる証拠はないので、これを認定すべくもない。しかし前記のように社会的声価が減ぜられ、名誉をき損されたことによつて原告等の蒙つた精神的損害について、証人山根ツ子の証言及び原告等各本人尋問の結果(原告永井シヅヱは第一回尋問)によれば、原告永井源吉は原告シヅヱ及び家族を使用して一日約一万円の売上のある食糧品小売販売業を営み、当時他家に嫁していた長女を除いて二〇才の男子を始め五人の子女と同居しており、本件記事の掲載はん布によつて原告等及び家族並びに他に嫁した長女までも近隣知人及び顧客から白眼視されて肩身狭く感じ営業にも差支を生じ(その損害額は不明なこと前記のとおり)原告永井源吉はそのため一時神経衰弱気味になつたことが認められることならびに本件記事の掲載はん布前後における前認定の経過及び諸事情等を参酌し精神的苦痛を慰藉するための金員の支払の外名誉を回復するための適切な方法とがなされるべきであると認められ、以上の諸事由を考慮の上右慰藉料の額は原告等両名について金二〇万円を以て相当と考える。そして右名誉を回復するのに必要な方法としては、新聞記事によつてき損された名誉はまた新聞に掲載される記事又は広告によつてこれを回復するのが最も適切と考えられるので、前認定の諸事情を考慮したうえ、被告新聞社は、同社の発行する読売新聞紙上に主文第一項のとおりの広告の掲載をしなければならないものとし、且つこれを以て右方法としては十分であると認め、原告等請求のとおりの名誉回復の手段は採用しない。
よつて被告新聞社は右の方法による広告をすべきである外、原告等に対し金二〇万円及び訴状送達の翌日であることの記録上明らかな昭和三〇年七月二日以降支払済まで右金員に対する年五分の民事法定利率による遅延損害金の支払をすべきであり原告等のその余の請求は理由がないから棄却すべきものとし、訴訟費用の点について民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 畔上英治 園田治 深谷真也)